NORI NOTE

2002年の夏休み   
「小杉放菴展」笠岡市立竹喬美術館 8/1
はじめ小杉放菴は小杉未醒と名乗り、やがて放庵、そして放菴と改める。洋画家として出発し、のちに日本画、水墨画に傾倒する。繊細で達者、風雅で洒脱。好みです。大正4年の「列仙屏風」は、ぜひコムデギャルソンの店に、飾ってもらいたい。軸装の趣味が良くて、ひとりうなっていた。ふらりと訪ねた展覧会のひろいもの。

「ママディ・ケイタ&セワカン」in岡山県美星町 8/1
7年ぶり(?)のアフリカのジャンベ奏者ママディは、貫禄が付いて北島三郎のようだと、Kがしきりに言っていた。山本譲治のような弟子を何人か率いて、ママディ一家の心温まるステージを目指していた。トークは、ちょっとサービス過剰。野外のステージで、みんな座り込んでいるため、立ち上がって踊ると後ろの人見えないだろうなとみんなが思っている。大人の暗黙の了解で、たちあがれない。たまらない人達が横の方でかたまって踊っている。でさいごの盛り上がりのところで、ママディが、立ち上がってコール。やっとからだに音が入ってくる。やっぱり、これ聴く音楽じゃなくて、感じる音楽でしょ。

アッバス・キアロスタミ「ABCアフリカ」 8/3
ひさしぶりに、キアロスタミの映画。いつもの手法なら、この「ABCアフリカ」という映画を撮った映画監督のストーリーという映画にしそうなものなのに、今回はストレートなノンフィクション。IFADからの依頼のための映画だからって事なのか。映像と編集で映画という形にするキアロスタミにとっては、ストーリーはどっちでもいいかもしれない。監督とカメラマンはデジタルカメラを持ち、大げさな装備もなく、人々を、風景を撮り続ける。そして旅のように映像は流れる。車の窓越しに流れる景色のように。淡々と。そこに生と死は確実に存在し、やがて忘れ去られる。横川シネマにてひとり貸し切り。がんばれ横川シネマ。

秋野不矩美術館 静岡県天竜市 8/9
丘の上にある、杉板と土壁で異国の城のようなたたずまいを見せる美術館は、見上げながら坂道を上っていくというアプローチで、気持を盛り上げる演出効果大。全景が見られる頃には坂道が終わり、意外とこぢんまりとして親しみのもてる様子の建物がそこにある。まず木製自動引き戸が厳かに開いて、観覧料を払い、靴を脱いで、スリッパを履く。扉、傘立て、照明、壁、床、柱、目に付くもの全部、なにか物言いがある。自然素材にこだわっているのだが、なんだか妙に目に付くので、こちらの気持がそぞろになってる。またスリッパを脱いで、展示室へ。竹の敷物の上を歩く。次の展示室。ここは白い大理石。冷たくて、裸足になってぺたんと座って、お尻も冷たくて気持ちがいい。インドのお寺や風景もそして見ているこちらも、床から10センチくらい宙に浮いてるかのような、不思議な浮遊感を感じる。美術館での体験としては、こういうことは珍しいし、面白いと思う。ただ秋野氏の作品とコラボレートする意味での空間としてどうか。これが他の作家の作品だったらどう感じるか。と今は考えてしまう。なんとなく、美術作品よりも、建築作品としての主張が強いような気がする。タンポポハウスもニラハウスも、藤森氏のやりたいって思いが前面に出てるものね。でも、天竜市でもどこでもない場所にいるような、解き放たれたひとつの確立した場所としての強い存在感に、満足しました。

春夏秋冬「夏のひととき展」8/23
クレージーステッチを駆使した作品をつくっている沖眞理さんとこの企画展。沖さんちが展覧会場(いい感じの民家)。何年かぶりに再会し、広島に戻っていることを知り、今後もここでいろいろ企画していくことを聞き、とても嬉しい。

その他

実家にて。洋裁に励みました。子どもパンツ2枚、幼稚園スモック、ブラウスとワンピース。洋裁ってストーリーがあると思った。編み物や織物は、ひとつ視点を見定めて同じ集中力でゆるぎなくいくって感じだけど、洋裁は起承転結があって、見せどころや落としどころがある。女らしいワンピース、さていつ着るのだろうか。

母の宿題。幼稚園の宿題、手芸作品提出は今年は人形作りました。ここのところ秘かにまわりの人達に伝え教えた人形の小さい版。もうかなりオリジナルなものになったな。

8月の最後。台風のせいで変なお天気、そしてTの発熱、3時間の点滴、親しい友人の引越。立て続けに襲いかかる波をうける。そうこの夏、幼稚園での友人が(Tにとっても)3人引越。きのうまで何の疑いもなく仲良しだった人達が、ある日突然いなくなる。きょうから会えないよって。これってなんかふられちゃったときの感じに似てなくないか?為すすべもなく受け入れなくてはならない不条理な感じ。力が抜ける感じ。時折こみ上げて泣けてきちゃう感じ。ここ何年か味わうことのなかった気持ち。



7/27 長新太のふしぎ   
ふくやま美術館できょうから始まった「ふしぎな長新太展」。Tと一緒に朝早く出掛けました。本を買った人には先着100名様限り、長新太のサインがもらえます。これは行かねば。一度実物をこの目で見なくては。美術館前に到着すると、あ、人が並んでる。黒山の人だかり状態ではなかったものの、50人目ぐらいでした。美術館サイドの段取りがスムーズでなくて待ちくたびれましたが、本を買って整理券も2枚もらって、始まりましたサイン会。椅子に腰掛けてペンを走らせる長新太さんの姿を列の後ろの方から、気になってのぞき込みます。整然と淡々とした空気が流れています。ごろごろにゃーんもブキャッ!も聞こえてくるような雰囲気ではありません。みんな緊張しているのかしら。ながいながい待ち時間。あらかじめ書いてもらいたい名前などを書いておくようにと紙を渡され、真剣に考えてしまいました。Tには名前と、やっぱりキャベツくんの絵かな、でも描いてもらえるかな。断られたらショックだしな。わたしのは、はやしのりこちゃんへだけにしておこう。謙虚にね。白いおひげになっておじいさまらしくなった長新太氏は、ただただペンを上下左右に走らせている。冗談を言ったりしている様子はない。サインをもらうために列に並ぶのって初めてだけど、どれもこんな感じなのかなあ。Tも立ってるのにも疲れてきた様子。だんだん長氏に近づいてきた。前に並んでいたお母さんが一緒にいる男の子が「へにゃらもにゃら」が好きなのでその言葉を書いて欲しいと、リクエストする。「何それ?」と長氏。隣で細々段取りをしている付き人らしき男性が「お書きになった本の中にに出てくると」お母さんも一生懸命「お化けが出てくる話で、この言葉がすごく好きなんです」長氏「え?知らない。覚えてない。」といいながら勝手に絵を描き始め、サインをして終わろうとする。「あ、あの、へにゃらもにゃらを」とおかあさんのだめ押し。なんだろうねえという顔で、お母さんが書いた紙のへにゃらもにゃらの字を見ながら、書いた。「へにゃらもにゃら」。覚えてないのね。あんなにたくさんかいてるんだものね。しかし、どうだ、このどーどーとしたあっけらかんさ。つぎ、Tのキャベツくんの絵。絵本に出てくるキャベツくんの拡大率10倍ぐらいのキャベツくんを書いてもらう。やった。握手もしてもらう。やった。写真も撮る。やった。なんでこんなミーハーなのりになってしまうのかよくわからないけど、とりあえず大満足。美術館のお姉さんに「もう一回見せてー。いいないいなー。」って言われて、Tはへなへな笑って喜んでいる。もう展示見なくてもいいかってほどのイベントでした。長氏も、あいかわらず淡々と100人分のサインをこなし(一冊ずつ全部違う絵をサインと一緒に描いていました。)ひらひらと歩いて退散していきました。後ろからその歩き方を見ると、まさに天才肌の歩き方。地に足のついてないような歩き方なのでした。どうぞ、まだまだお元気で。


7/6 よるのお茶会   
一日中、目の腫れぼったかったTが、夜になって普通の顔になり、食欲も出てきて夜寝る時間になっても空腹を訴えている。お休みの日の前の夜はついつい甘くなってしまう母は、自分用のとっておきクッキーを出してきて、台所の小さいテーブルにつく。梅雨時にしては涼しい夜だし、紅茶を飲みながら、二人で話をする。話題は、この夏Tにとっての最大イベント、お泊まり保育について。昨日参加の意思表示をなんとか自分で出したのであるが、うちでもひとりでも寝たことのない彼は、この話をするについても緊張してしまう。そのあたりのことを察している賢い母は、お泊まり保育の楽しいひとときについて、おもしろおかしく話をする。すると母と同様賢い息子は、過剰なぐらいに身をよじらせて笑っている。笑って笑って、自分の中の不安を無かったことにしている。もっともっとと話をせがむ。よるのお茶会に参加できるようにもなった5歳児は、この夏新しい夜を迎えようとしているのだ。こうやっていろんなことに、身を投じていくんだろうな。
それと、台所の小さなテーブルの存在が、こういう夜には必要と思うのである。


7/4 さかなとり   


みずとりのはま公園というのがあって、すごくちいさな砂浜で遊べるようになっている。きょうはじめて行ってみたら、波打ち際に柵が並んでいて、海に近づけない状態になっていた。それでも仕方なくその界隈で子供たちは遊んでいるのだが、柵の向こう、海につかって奇声をあげる女子中学生?高校生?(区別が付かない)が4人。制服のスカートをパンツに挟み、濡れるか濡れないかの場所に立ち、(でも濡れてるでしょ)なんだか叫んでいるのである。彼女たちは一体何をしているのか。さかなをとっているのである。確かに時折ぴちゃっと魚が波間にはねているのが見える。でも見たところ網などの魚取りグッズを持っているわけでなく、ながい棒かなんかを嬉々として振り回し、ビニール袋を手に魚を見つけると、奇声を上げ、たぶんつかまえているのである。そしてビニール袋に入った本日の獲物を下げて、傍らに建つ休憩小屋のようなところに入っていった。まさか、焼いて食べてるんじゃないでしょうねえ。放課後に、素手でさかなとりか。生々しい青春ですね。


7/3 マストロヤンニの夢   
夏のかーっとした暑さよりも、このじっとりと空気がまとわりつく湿度の高い不快な暑さの方が、からだにこたえる。睡眠時間がうまくとれなくて、変な時間に恐ろしい眠気におそわれそのまま立ち上がれなくなり、目が覚めるともうその後は眠れない。布団に体を横たえ、なんだかM.マストロヤンニの顔が眼に浮かぶ。こんな眠れない夜は、フェリーニの映画が見たくなる。モノクロの濃い闇。エンドレスの闇。夢なのか、映画なのか。

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