NORI NOTE

2004.8.14 なつやすみのうみ   
夏には毎年実家に帰ります。何をしに行くか。それは、かつての自分を取り戻すためであります。まあ娘状態に戻るってことですね。はっきり言って、好きなだけ眠ります。そして本屋さんに行きます。精文館書店。あとは昔よく通った喫茶店。それから自転車に乗ってふらふらします。夕暮れの空なんか眺めながら。そして、動くための脚がないのでなかなか実現が難しいのですが、今年は海にも行きました。Tを連れて、とーさんに連れて行ってもらいました。しおみざかといらごの海に行きました。よかったー。これぞなつやすみ。これぞわたしのなつやすみ。これぞわたしのうみ。(これを書いて、もう寝るぞと横になった瞬間、それが私の本質なのか、とぱっとひらめいてしまった。眠ってお茶飲んで本読んで自転車に乗って空や海を眺めていること。なんとまあ単純なというか、それだけなのかよと。いやいいんだけどね。)



2004.7.29 機織り大学生   
4月から7月まで、文化短期大学の大学生を週1回していました。受けたのは織物1。織物の実技の授業で、何を織っても良いということだったので、欲張って大きいストールを一番大きな織り機で挑戦。この度完成いたしました。縮絨をかけたのでその比率がうまくいかず、予定より幅が狭くて丈のながいものになったけど、ぐるりと身体を巻けそうで、冬が楽しみ。織りながら、こういうのって向いているのかもなあと思う。2時間ぐらいやってるといい感じになってくる。単純な作業だから、その日の調子やらもよくわかる。こういう毎日もいいかなって。でもずっとそうしているわけにもいかず、バイクに乗ってぶーんと帰ってくる。15分くらいでぶーんとバイクで学校に通ってる道中、大学生にもどったようでちょっと嬉しかった。でも実は10月からの後期の授業も受けます。次は何を織ろうか。



2004/7/21-24 東京へはもう何度も行きましたね   
東京に行くというと頭の中に、「東京へはもう何度も行きましたね〜」とBGMが流れる。東京は住むことはなかったけど、何度も行ったり、通りがかったり、滞在したり、いろんなことがあった場所。なかなか行けない時期が長引き、もう10年ぐらい年月がたってしまった。ここのところの東京は激しく様変わりしている話は聞いているが果たしてどうか。でもそんな変化した場所にはあまり行く予定はないのだけど。まずはお付き合いで東京タワーへ。駅を出て見上げる空に立ち上がる東京タワーはレトロな60年代。確か幼少の頃一度上ってはいると聞いてるけど、記憶は無し。高いところからぐるりと見渡す東京。地下鉄やJRで駅を目指し、行き先の決まったところしか歩くことがないため、地理的に東京全体がどうなっているのかいまひとつ把握できていなかったのが、こうしてみるとなんだ東京って結構小さいじゃんって思い、ちょっと手中に収めたような気になる。実は今回の東京行きは、久しぶりだからなんだか緊張感があったし、今の自分が東京をどう受け止めるのかっていうのが、気にかかっていたのだ。街を歩く前に最初に高いところに立つって言う旅行者の話を聞いたことがあるけど、いい方法だと思う。品川、目白、原宿、青山、上野、高円寺の3日間。観たり聞いたり話したりしたものは、中身の濃い充実したものでした。でも街は希薄だった。沢山の人間が発する鬱蒼とした感じは、ベトナムのそれの方が濃かったし、通りを歩いていても街のエネルギーみたいのはあまり感じられなかった。みんな静かだったし、閉じていたし、ひとりで生きているような顔をしていた。でも本当はそうじゃないのに、という心の在処も見え隠れさせて。でも久しぶりに会えた人やまたきっと会いたい人の住む街として、また来るねと思いながら帰途につきました。



南国果実の逆襲   
帰ってきた翌日から、口のまわりがかぶれたように腫れてきた。疲れのせいかなと2.3日ほっておいても治らず、目の上のあたりもあやしくなってきた。皮膚科に行くと、「南国の果物を食べましたか?マンゴとかパパイヤとか」あ、全部食べました。パイナップルもバナナも他にもいろいろ食べました。「そうですか。それで陽に当たったりすると余計反応したりしますね。」そうです。陽射しを浴びて、ボートにも乗りました。口に汁つけたままだったんでしょうか。おっしゃるとおりです。おなかこわさないようには注意していたけど、まさか果物にかぶれるとは。南国フルーツは刺激的なり。(ジャックフルーツ、唐突に木にぶら下がっている。)



帰ってきて悔やまれるのは、食べ損ねた料理   
揚げ春巻き、生春巻き、エビ料理、ブン・チャー、フォー、いろんなスープ、肉まん、チェー、フランスパンのかたちのパン、ロータスティー、南国フルーツ。食べました食べました。魚や肉のだしがスープの緬ものや、野菜の炒め物や、うちのごはんの延長線上にあるようなかんじで、屋台でも食堂でもレストランでも、おなか一杯食べました。くせのありそうな葉っぱ類や小皿で付いてくるタレを存分に使いこなすところまではいけませんでしたが。値段表示のない店では、高く言われてるんじゃないかと懐疑的になったりもしました。でも路上ままごとのような状態で、人にご飯を振るまっているのはさすがに通りすぎるのみ。あれもごはんや、商売してるんだよね。うちの玄関先にごはんと七輪持って出て、はいいらっしゃーいって成立するのがベトナムのタフネス商売。食器はなんかおもちゃみたいで、やっぱりままごと感覚。かわいいかんじはあっても、成熟した大人っぽさはない。家庭料理みたいな素材の素朴なおいしさがほっとするベトナム料理は、日本の気取ったベトナム料理屋で食べたくないね。(記念すべき最初の食事はこのフォー屋。美味しくて繁盛していた。/食器はどこもこんなかんじ)

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