さいころで鳥獣戯画

子供の頃、ドリトル先生が壁に貼った世界地図にダーツを投げて決める旅の行き先を決めるのを憧れてたけど、実現の機会はないままでした。しかし先日、JR西日本がサイコロきっぷというチケットを販売してたので、早速初日にサイコロを振ってみました。
博多、松江、姫路、金沢の中から1カ所が決まるというゲーム感覚のチケットでした。
金沢は確率は低いがまた行きたいな。とか、姫路だったら城崎温泉直行しようかな。とか、松江だったら隠岐島に行くか?と思ってると、当たったのは博多。ちょうど市立美術館で鳥獣戯画展をやってたので、日帰りで行くことに。

鳥獣戯画は二度目ですが、細部までじっくり観れてとても良かったのですが、所蔵されている高山寺や、明恵上人に関わる多くの作品もうまく連動していて、現在の漫画やアニメにもつながる日本の文化の流れにも気づくことができました。
とても丁寧に多くのことが連動して企画されているいい展覧会でした。
常設展では予期せずアニシュ・カプーアに向かい合うことができて、とても大きな気づきを得ることができました。

瀬戸内海クルーズ

以前から乗りたいと思っていた、瀬戸内海を縦断するSEA SPICAに乗ってきました。
瀬戸内海汽船とJR西日本が提携して、宇品港と三原港を1日一往復するもので、東向き航路では三之瀬と大久野島、瀬戸田に停泊して13時過ぎに三原着。その後、西向き航路では瀬戸田、大久野島、御手洗に停泊します。
音戸大橋、安芸灘大橋を通った後、風浪の穏やかな豊田灘を通って島の多い瀬戸田に向かいます。大型船がほとんど通らない海なので、穏やかなクルージングが楽しめます。
県外の人は三原発、夕方広島着。広島の人は朝宇品発で瀬戸田途中下船で瀬戸田観光という設定ですね。
大久野島には初めて上陸しましたが、人間の何倍も兎がいて面白い風景でした。

滝と紅葉

 紅葉が見たくなって、特に調べることもなく家を出た。瀬戸内に流れ込む川の上流にはいいとこがあるだろうと。
五日市、廿日市、大竹、岩国にはその河口があるので、錦川上流を目指す。
道の駅で案内板を見てると、親切な地元の方が寂地峡がおすすめと教えてくれたので行ってみる。
人も多くなくて、花崗岩の隙間を削って出来上がった滝を眺めながら丘を登る。
紅葉もとても綺麗。
山口県は人と自然のバランスがちょうどいいように感じます。広島は人の方がちょっと多すぎる印象。

延岡駅 encross

今年度の建築学会賞を受賞した宮崎県の延岡駅に行ってきました。
延岡市は人口11万8000人、リチウムイオン電池でノーベル化学賞を受賞した吉野さんの旭化成発祥の地で郊外に大きな工場がありました。
旧延岡城や城下町と川を挟んだ地区に駅があり、駅前は八幡宮の門前町やアーケード街がありますが、閑散とした地方都市の駅前という情景です。
寂しさを漂う駅前と打って変わって、このencrossは、多種多様な人が集まっています。
2Fには多くの受験生が受験勉強、Macbook Airを開いて仕事してる人、カップルや友達同士、花のセミナーに来ていた人たち、新聞閲覧コーナーも一杯でした。
1Fのショップも、待合室も。キッズルームの横には狭いながらも遊具のある遊び場もありました。
延岡に住んでる人は幸せだなと心から思いました。

近代以降、ハコやインフラのような形をつくることが公共の整備という認識が強いと思いますが、、、
コミュニティをつくる。そのためのハコという順であることが、気持ちの良い公共施設を生み出すことができるいい事例だと思います。
残念なのは、高梁駅や徳山駅のように大手書店とカフェが存在感ありすぎること。
雑誌での記述によると、途中から落下傘のように現れたとのことですので、乾さんや山崎さんや地元の人たちが時間をかけて育んだ空間は別の姿を目指してたであろうことは想像できます。
こんなに若い人は多くないかもしれないが、活き活きした街を持続可能な形で作り上げるベースができていたかもしれません。

既存の二階建ての駅舎は改装して残し、通路を挟んでencrossは新築されていますが、コンクリートの柱や梁は現場で打設されたものではなくて、工場で作られたものを現場に運んで組み立てられています。
その結果、コンクリートとは思えないスリムなグリッドを作ることに成功していますが、それは現場での施工期間を短縮することや、元の駅舎へのリスペクトも込められています。

延岡は大正末期に化学肥料や化学繊維の工場ができるなど、日本では相当早くに近代が到来した町だったと思います。
1980年代に近代が行き詰まると同時に90年代以降の日本も地方も先の見えない不況と混乱の時代が続いています。
伝統的な価値観から近代に向かい、その次なる時代をつくっていく足掛かりを提示しているのが、乾さんの仕事だと思います。

この建物をつくるにあたって、設計者の乾久美子さんは10年前より、山崎亮さんと地元の団体や人たちと長くワークショップや対話を繰り返してきていたようです。この辺りは、「新建築2019年1月号」「まちへのラブレター:参加のデザインをめぐる往復書簡」参照。