宜蘭県 頭城、壮囲沙丘

礁渓から頭城に台鉄で移動。18世紀末に漢族が入植に成功した最初の町です。
その後、宜蘭平野には、鉄砲で武装し城壁で町を囲む植民都市が少しずつ増えていって、原住民のカヴァラン族は花蓮のあたりに移住することになりました。今では、バス会社やウィスキーのブランドとして、カヴァランの名前として使われています。
その100年後には日本が統治することになって、西郷菊次郎(隆盛の長男)が、宜蘭長官として赴任し、この地域の最大の課題だった水害対策のために、30年かけて堤防を築いています。記念碑もあります。西郷菊次郎は後に京都市長になって、「京都百年の大計」として京都市三大事業「第二琵琶湖疏水(第二疏水)開削」、「上水道整備」、「道路拡築および市電敷設」を推進したようですから、インフラに力を入れた政治家だったのでしょう。

頭城の町には老街(ラオガイ)と呼ばれる古い街並みが残っています。
港に隣接したエリアには、蘭陽博物館があって、宜蘭県の環境や歴史が学べます。なかなか面白い展示内容でした。
池の畔には、藤森さんが設計した檜材の小屋が建っていましたが、展示されているだけで、使われていなようなので残念。
洪水を起こしている川は、山奥から木材を流すことに適しているようで、檜材の集積地だったようです。

頭城から東海岸沿いに南に向かって、全長16kmの長大なサイクリングロードが整備されています。
バスでその途中にある壮囲沙丘の壮囲沙丘旅遊服務園区(設計:Fieldoffice)に行ってみました。
海に沿って長く続く砂丘の途中に、建築が丘のような曲面の屋根が緑化され、内部が展示、ワークショップ、カフェ、店舗となっています。隣接する砂丘には環境アートエリアとなっているようです。
自由な角度で構成された内部空間では、子供の本の読み聞かせ会や、小さなホールで演奏する人がいるなど、地元の人に親しまれているようです。

宜蘭県 礁渓

桃園空港から温泉町の礁渓に直行。天気予報通り5日間毎日雨。
礁渓は、宜蘭県の北にある温泉地で、温泉地が山に多い台湾では珍しく平地の温泉地です。海には亀島が浮かんでいて、日本最西端の与那国島とは100kmほどの距離にあります。黒潮がぶつかって北東にターンすると同時に、フィリピン海プレートがユーラシアプレートにぶつかって、沈み込む場所なので地震も多く、温泉が湧いてるということでしょう。

バスターミナルから大きな屋根(礁溪轉運站旅人廊道、設計:Fieldoffice)が隣接する礁溪溫泉公園(設計:象設計集団)につながっている。
町の中心部には、町を縦に貫く礁溪湯圍溝公園(設計:象設計集団)がある。道の南側には夜市、向かい側には足湯。ガラス屋根の明るい空間になっている。近くのホテルの足湯はみんな20歳前後の若者で、全員がスマホをいじってて無言。ターミナル横の足湯は、おばちゃんグループや家族、カップルが賑やかに話してる。僕たちも小籠包を買って足湯でゆっくりした。

翌朝、Fieldofficeの建物を観にいく。礁渓生活学習館、礁渓国民学校校庭地下駐車場、宜蘭県礁渓郷公所。
雨が多くて有機的な環境と一体化しつつも、力強い空間をつくっています。所々にユーモラスな遊びや親しめる要素をちりばめてるのも特徴と言えます。

台湾宜蘭県のまちづくり

新型コロナウイルスが落ち着いて自由に旅行できるようになったら、パンデミック時のGWに行く予定だった台湾に行こうと思っていました。九州くらいの台湾を一回りしようと思っていたので、時計で例えると1時の宜蘭市から、時計の逆回りに台中、台南、高雄と6時の恒春、鵝鑾鼻岬まで行っていたので、残りは東海岸の花蓮、台東あたりでした。
台北IN/OUTになるので、花蓮あたりを調べていたのですが、途中で泊まる予定だった宜蘭県の羅東やその周辺に面白そうな建物やランドスケープデザインのものがいくつもあります。さらに調べていくと、40年前から県長(日本では県知事)が明確な目的とビジョンで地域を活性化させていたことを知ることができました。

県長 陳定南さん

1981年に、陳定南さんが宜蘭県長となったことから全てが始まったようです。
大規模な工場の進出をストップし、汚職を根絶し、環境を保護しつつ観光産業を発展させるというものでした。
今でもgoogle mapで民泊を検索すると、恐ろしい数の民泊がヒットしますし、サイクリングロードや温泉公演、羅東夜市、自然公園など、台北から日帰りでも楽しめる観光エリアとなっています。

宜蘭県の住民の環境意識の計測

象設計集団とFieldoffice Architects

県長に就任した陳さんは、当時早稲田の博士課程にいた郭中端さんの論文を読んで、県の計画に参加するように依頼しますが、当時は学生であったために、兄弟子にもあたる象設計集団を推薦します。象設計集団はそこから今に至るまで、多くの建築や公園をつくっています。造園の設計は高野ランドスケープが現地法人を作って現在も台湾全土で活動しています。
Fieldofficeの黃聲遠さんは、1994年から羅東県で仕事を始めます。小さな道の再生から公共施設まで、現在も毎年のように公共建築が竣工しています。日本での作品集(LIVING In PLACE)を観て2016年に宜蘭市に行ったのが台湾に継続的にいくようになったきっかけでした。

台湾はどの町に行っても、人は親しみやすくて親切で、日本統治時代の建築を大切に活用している点は共通しています。多くの都市では、外国人建築家に大きな建築を作ってもらうケースが非常に多いです。もちろん都市の環境や文化レベルは大きく向上して、観光資源にもなることですが、ここ宜蘭県では多くの建築が地元に根を下ろしている象設計集団とFieldofficeが作り続けているといってもいい状況です。これは県長やその政党が替わっても続いていることなので、完全に定着している思われます。
表現の手法も、継続性がありますし、大切にしていることも一貫しているので、地元の人たちは、誰が設計したか?についてはそれほど気にすることなく、建築を作品としてではなく、生活と連続したものとして活用しているように思います。

陳定南さんのことは、今回調べていくなかで知ることができた人物ですが、一人の人物と、それを継承する多くの人が作り続ける地域を観にいくというのが、今回の旅のテーマとなりました。

羅東県(宜蘭市をのぞく)の建築の一部。今回訪問したものは太文字
1981年 陳定南宜蘭県長就任
1994年 冬山河親水公園 <象設計集団+高野ランドスケープ>
1997年 宜蘭縣政大樓 <象設計集団>
2005年 礁溪湯圍溝公園 <象設計集団>
2005年 礁溪生活學習館 <Fieldoffice>
2006年 陳定南没
2011年 礁溪溫泉公園 <象設計集団>
2014年 羅東文化工場 <Fieldoffice>
2016年 冬山河生態綠舟 <象設計集団+高野ランドスケープ>
2018年 壮囲沙丘旅遊服務園区 <Fieldoffice>
2021年 礁溪轉運站旅人廊道 <Fieldoffice>
2022年 礁溪國小運動場及地下停車場 <Fieldoffice>
2023年 宜蘭市バスターミナル <Fieldoffice>

サグラダファミリアの完成

サグラダファミリアは、いつ完成するのか?と、何十年も語られてきましたが、2026年に敷地内の塔は全て完成する予定とされています。が教会の完成ではないようです。

夏に国立近代美術館のガウディ展で、計画の経緯や模型を見て、その理由がようやくわかりました。

ガウディは、サグラダファミリアの二代目の建築家で、ガウディが就任した時に計画を大きく変更します。
向かって右にある生誕の門を先行して建設していく過程で、その規模がどんどん大きくなって、教会全体の規模も大きくなる。
その結果、正面の入口は敷地内に収まったが、そこに入るための階段は隣の敷地にはみ出してしまう計画となっています。

サグラダファミリアの完成模型。水色の線が道路。道路をまたぐ階段から正面入口にアプローチする計画となっている。

現在の航空写真(google)。水色の線が道路、ピンクの線が正面入口に至る階段

隣の敷地には、ブロック一杯に建物が建ち並んでいて、当然それぞれに権利者や住民がいます。
ここを立ち退いてもらわないと、正面の入口や、そこに至る階段、アプローチの建設ができません。

階段は道路をまたぐ計画ですが、車が通過できる高さだと、階段の位置が高すぎるので、道路は封鎖するしかないように思えます。

サグラダファミリアの隣の一等地を買い上げて立ち退いてもらうという事が財団にできるのかわかりませんが、この問題を2019年より着手してるようですので、いずれ進展はあるのかもしれません。
両隣と同じように、正面入口側のブロックも公園とするのが理想だと思いますが、時間はかかりそうですから、側面から出入する期間が長く続きそうです。