踏切

広島がんす通信

問題がある踏切を国土交通省が発表したのですが、広島県では20カ所。
そのうち近所の踏切が2カ所選ばれていました。
歩道が無いので、歩行者がいるときは車が通れず、途中で車が立ち往生することもあります。
沿線では人身事故は2〜3年に1回

最近法律が変わるまでは、元国営鉄道が許可しないので、測量すらできなかったそうです。
数年前に、地元の町内会でアンケート調査したのですが、結果には驚きました。
危険で渋滞の多い踏切を、地元の多くの人は歓迎しているのです。
不便になるため、地域内の通過交通の車の量が減り、踏切通過速度が遅くなり、歩行者を注意しないと踏切横断すらできないため運転者の緊張感が高まるから逆に安全とのことです。国道二号線の慢性的な渋滞が、住宅地を抜け道にする傾向を誘導しているため、生活路が通過交通の道路になることが多々あるのです。
都市計画的には、危険や不便として片付けられることですが、生活者の視点というのは、まるで違うなあと思いました。

計画する側という立場や、スタンスでは、物事を上から見がちなので、どうしても一般的な理想論を振りかざしがちです。その結果、現実の幸せとは乖離することも出てきます。
このニュースを見て、上からものを見るスタンスで計画を行うことは気をつけなければいけないことだと、改めて思いました。
解決すべき課題や、実現すべきハッピーな空間は、そこ固有のことであって、一般解が適用できるかどうかも含めて、そこ固有の方法をとるべきですね。

広島県の自治体の最新人口

http://blog.netwater.jp/?eid=420306

最低人口の自治体は8000人。
現在の市町村合併は、日本の地方自治体の行政能力(自治能力)を上げるということが目的ですから、広島県は非常に忠実に合併を行ったという事ですね。
最終目的は道州制ですから、それに向かって更なる努力を期待したいです。
しかし湯来町が広島市佐伯区というのは、未だ慣れませんね。

■広島県の市町人口(平成18年3月31日現在)
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1 広島市  114.1 万人
2 福山市   46.3 万人
3 呉市    25.3 万人
4 東広島市  17.6 万人
5 尾道市   15.3 万人
6 廿日市市  11.8 万人
7 三原市   10.4 万人
8 三次市   6.0 万人
9 府中町   5.1 万人
10 府中市   4.6 万人
11 庄原市   4.4 万人
12 安芸高田市 3.4 万人
13 竹原市   3.1 万人
14 大竹市   3.0 万人
15 江田島市  3.0 万人
16 海田町   2.8 万人
17 熊野町   2.6 万人
18 北広島町  2.1 万人
19 世羅町   1.9 万人
20 坂町    1.3 万人
21 神石高原町 1.2 万人
22 大崎上島町 0.9 万人
23 安芸太田町 0.8 万人
—————————-
  合計    287.1 万人

広島と毛利輝元と萩と福岡

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ひょんなきっかけで、広島城のことが書かれたHPを見ていると、興味深い一文に目がとまった。
広島城の建設費用は、なんと大坂城よりも多いというのだ。
大坂城が約700億円、広島城が約1000億円。(土木に金がかかりすぎて、建築は簡素だったようですが、、、)
それまで、毛利家は中国地方を支配する大大名とであったが、居城は吉田の山城で、守備は堅かったが当時としては時代遅れだったのだろう。
広島城の計画に着手したのは、大坂城が完成した後のこと。
大坂の町と、大坂城を見ていたく感動し、城下町は大坂を、城は聚楽第をモデルにしたと言われてる。
監修は秀吉の天下をプロデュースした黒田如水。

当時の広島は河口に広がる浅瀬や湿地で、とても建築に適した土地ではないと皆からやめろといわれていたらしい。なのになぜ建設を強行したのだろう?

当時は豊臣秀吉の天下が確定し、それによって実現する日本の経済システムが今後の主流となると思われていた。徳川家康は米経済だったが、織田、豊臣は貨幣経済だった。
徳川政権は領地から生まれる米の生産を政治の中心に置いたが、海外との交易、国内の流通の促進。それによって金を得ることを政治の中心に置いたのが織豊政権だった。それを象徴し、政治の中心となる都市が安土であり、大坂だった。

大坂は元々本願寺があった高台から本願寺を追い出して大坂城を築き、堀割でつながる商都をつくり、堺から強制的に商人を呼び込んできた。
広島も城下町は堀がつながり、碁盤の目の都市が広がっていた。
国内流通や国際貿易にも適した立地でもあるので、西日本の大坂となる町を広島の地に出現させようとしたのだろう。
不幸にして広島城完成前に、関ヶ原の合戦があり、毛利家は周防長門に移るが、そこで萩城をつくっている。
そこでも、海沿いの防衛と流通に適した土地に、城を築いていることから、広島でやり残したことを萩で実現したと思っていいだろう。

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監修した黒田如水も、その後福岡の地に自前の福岡城を築いている。その後の福岡の隆盛は言うまでもないだろう。ちなみに黒田家は薬売りもしていたので、武と商ともにやっていたという意味では、坂本龍馬にもつながるセンスがあったと思われる。

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豊臣政権とまるで違う政策の徳川幕府ができたので、海外貿易も停止し、国内流通でも広島城下は大坂に比べて大きな働きをすることはなかったし、浅野家も経済のセンスは疑問だったけど、もしも毛利が広島城主で、豊臣政権のような経済型の社会が続いていたらどうなっていたのか想像すると面白い。
果たして東洋のベニスとはいわないまでも、中国地方の大坂になったのだろうか?
優れた商人は、経験だけでなく歴史や生活から吸収するセンスも必要。

大坂は堺の商人を注入することで急ごしらえの城下町を大商都にした。
広島の商都としてのインフラはできたと思うが、果たして大商都となるセンスが備わっていたのか?
毛利家は鎌倉時代に厚木から移ってきた東国の荒き武門の家柄で策謀と暗殺を得意とするニヒルな気質。
そのあたりを考えると、夢も萎えてくるので、このあたりで妄想はやめにしておきたい。

毛利輝元は賢公か愚公かは判断つかないが、壮大な夢とそれを実現させる多大なる努力を持ち合わせた人物であったことがわかったことは大きな収穫だった。

くどいようですが
大坂城は700億 広島城は1000億

佐藤寿人の2発

昨日は、広島はホーム二勝目。僕にとっては勝利初観戦でした。
一進一退の展開から、後半広大な磐田のDF裏のスペースに青山が蹴り出し、寿人の巧妙なファーストタッチで得点。
二点目もウェズレイが力ずくで奪った球を寿人に渡して2点目。

ペトロビッチ(やオシム)が目指す人も球も動く流動的なサッカーの展開からの得点ではなくて、速攻による2点ですが、気持ちのいい試合でした。
下田の驚異的な反応も見応えありました。
福西も体のバランスが良かったし、カードを貰わないような巧妙な肘うちや暴力(笑)、最後のPK欲しさのシミュレーションもさすが。前田も敏捷な動きを見せていた時間もあったし、途中で入ったカレンの知的でない!走りも効果あったと思う。

理想を貫くのか、勝てるサッカーを続けるのか?
監督や戸田は悩んでいるようですね。
90分間守り抜いてカウンターで勝つというサッカーをしている訳じゃないので、安定するまでは今の流れでいいと思うのですが。