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林家雑記 その6 

身繕い


Kは何はともあれ、まず耳かきを手にする。新聞や雑誌を読むのが、彼の一日の中のわずかなくつろいだ時間なのだが、活字を目で追う間中、耳かきを同時に行っている。家に帰ってくるなり新聞を広げ、「耳かきは?」と聞く。小さくて軽い耳かきはいつもどこやらへいってしまって、部屋の中をあちこち探さないと見つからない。毎日の繰り返しなのだから、耳かきは首からつる下げておくべきだ。
くりくりと耳かきを動かし、次に耳を中心に頭をぐりぐり回している。そんなに耳くそはたまるものなのだろうか。きっとそれは癖のようなもので、そうしないと落ちつかないのだ。耳かきに引っかかってくるものはなくても、耳の内側をかさこそとなでるその気持ちよさをやめることができないのだろう。
いい加減耳を掻き終わると、今度は爪を切る。Kの爪の先は、白い部分がほとんどない。爪が肉の部分とつながるぎりぎりのところまできっちり切ってある。ちょっとでも白い部分が伸びてくると、せっせと切る。深爪はよくないと意見しても、まったく聞いている様子がない。わたしの切ったばかりの爪を「伸びている」と文句をつける。
さすがに切る爪がなくなると、今度は手足の皮を剥いている。Kは新陳代謝が激しいらしく、手のひらや足の柔らかい部分の皮が、白くふやけ剥けてきてしまう。爪でそれをかりかりひっ掻いては、幾分無理矢理に皮を剥がす。我慢できずにかさぶたを剥がすようなそんな自虐的な行為を続けている。時々やりすぎて痛い目にもあっているようだが、むいてもむいてもきりがない。
以上これらKの行為を観察するうち、猫の毛づくろいや猿ののみ取りを思い出した。動物が、くつろいだ状態でわが身を一心に手入れし、自分だけの世界に浸っているのと一緒だ。ただ違っていることといえば、自分の耳や手や足をせっせと手入れするKは、加えて目と頭は新聞や雑誌からの刺激にしっかりと反応しているところで、そんなところは、人間らしいといえるか‥


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