W杯出場メンバーの選出

もうすぐ23人のメンバーが選出されるということで、無理矢理盛り上がっているように見える今日この頃という感じです。ジーコはアジアカップとコンフェデレーションズカップの二大会を元にすでにメンバーはほぼ決めていると言い続けているのに、サプライズがあるかのごとき報道で、妙な社会不安が煽られているように思います。
アテネオリンピックの時は、山本監督が率先してメンバー選びにえらくエネルギーをかけました。あのときは、メンバーが選ばれた時点で、選手も世間も燃え尽き、誰と誰が落選したかは覚えているけど、どことどんな試合をしたかは記憶が薄いという感じではないでしょうか?

今回は、ジーコ以外は皆無理矢理加熱しているようで、巻と佐藤がお立ち台に上げられ、落選会見を生放送するので、そのための広告塔になっているという感じに見えます。中田浩二に後れを取っていた村井は可哀想な怪我をするし。

オーストラリアとはどう戦うべきなのか?
クロアチアとは?ブラジルとは?
本来なら、1月からの数々のテストマッチで、チームとしての戦術のチェックをし、そこでの議論をすべきなのに、ジーコにアピールばかりしていたので、未だ腹が定まっていないように見えます。
アジア大会やコンフェデのような大会ならば優勝という目的がはっきりしていますが、この半年の親善試合は目標が「ジーコへのアピール」であったために無為に過ごしたように思えます。

日本が戦いやすい形ははっきりしています。
宮本は3バックしかできない。三都主は4バックができない。
小笠原をできるだけ使いたい。中田と中村を中心に中盤を組み立てたい。
ボランチは国内組が一人は必要(海外組のCMFはどっか行っちゃうので)。キープできるFWが一人は欲しい。
となると、やはり3-5-2(小笠原が出れない)か3-6-1(1は柳沢)を基本にするしかない。
あとはコンディションと相手に応じたバリエーション。

W杯初戦に照準を合わせようとすると、今回の二試合がすごく中途半端な位置づけだったと思います。
せめてキリンカップの前にメンバー発表していれば、落選した選手のモチベーションは下がるけど、違った意義のある大会になったと思うが。

騎馬民族は来た!?来ない?!―〈激論〉江上波夫vs佐原真

騎馬民族は来た!?来ない?!―〈激論〉江上波夫vs佐原真

今日の夕方からあっという間に読んでしまった。
江上波夫は、いわゆる重箱の隅をつつく学者ではなくて、全体像を描ける希有な人物。
彼のあまりにもスケールが大きい学説に対して、重箱の隅派が蟻のように群がってケチをつけるという図式ができあがっていたけど、たまたま本屋でこの本を手に取ったら、重箱の隅の蟻の大将と思っていた佐原真と対談をしている。
もちろんソウルオリンピックの翌年の対談なので、今出た本というわけじゃなくて、たまたま目にとまって興味を持っただけということなのですが。

初っぱなは、騎馬民族というタイトルだけでケチをつけていたという事が明らかになる展開だったが、途中で江上さんが盛り上がって大演説をする展開。
後半は、騎馬民族は来たのなら去勢が伝わらなかったのは何故?と執拗に攻められる。実は僕も同じ疑問を持っています。
同じく、生け贄も日本にはあまりない。野菜や魚は生け贄にしますが、家畜の生け贄はない。宦官もいなかったし。

日本に騎馬民族系の王朝ができて、今に至っていることは事実だと思いますが、半島から日本に渡るときに、多くのものを捨てて来ているようです。
文字や物など残る物で立証できることではないので、そこから先は想像することしかできないのですが、僕たちの文化を考えるときには、やはり佐原さんが提起したことは確かに重要ですね。かといって騎馬民族は来なかったというのは極端ですが。

江上さんが自信を持って自分のイメージを提示できるのはやはり騎馬民族の地方に足を運んだからです。モンゴルの遊牧地域に入った日本第一号だそうですね。満州事変の前です。馬賊で危険な時期で面白い紀行文がでてます。
僕も、アジアの中央部を歩いたときに感じた感触があるから、江上説を確かなものと感じることができます。
中国は違和感ありましたが、ウイグルやトルコ、イランは波長が合う感じがありますので。

江上さんは、一度でいいから生でお話を聞きたかったです。

大分紀行 その3

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長湯温泉に到着。歩いてラムネ温泉に。
建築の輪郭が見えてきただけで、嬉しくなってきます。
藤森さんの建築のおもしろさは、独特のフィニッシュの感覚ですね。
普通の建築家だったら、体操の鉄棒の着地のように、ピシッときめようとするのに、藤森さんは(赤塚不二夫のシェーといったら怒られるから)宮崎駿の理想郷のようなフィニッシュになってる。
風の谷のモデルは、フンザだし、藤森さんの生まれた諏訪も高地だし、原空間は近いのかもしれない。
焼杉と漆喰と銅板の建築。のびやかで、ユーモラスで、直線が無い。いい建物です。
焼杉はいいですね。うちの外壁も当初は真っ黒に炭化した焼杉が候補でした。5〜6年前から、炭化した焼杉を使いたいと思っています。
半年前にフットサルで痛めた足の痛みが取れました。恐るべしラムネ温泉。

大分紀行 その2

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大分市内に行くのは学生の時以来でした。高専の研究室のゼミ旅行で大分〜湯布院を廻って以来です。
その後ニュースで聞いたとおり、磯崎さんの大分県立図書館が、解体の予定が撤回、保存されアートプラザ(磯崎建築美術館)に。隣の医師会館は更地になっていました。
アートプラザは、うっすらと薄化粧され綺麗になっていましたが、荒々しい打放しのままのほうがよかったですね。
コンクリートはデリケートな材料だから、どうしても汚れるし、表面が荒れてくる。それに打ち勝つだけの形かどうかが、真価を問われるわけだが、このアートプラザはとてもいい建物です。現代美術でもチュービズムといってチューブがいろいろ流行っていましたが、これもしっかりチューブしてます。残って良かったですね。

その後、長湯温泉に向かうが、途中で伊東さんの庁舎を発見。

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