古武道と甲野さん

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甲野善紀といえば、古くは雑誌の「遊」(松岡正剛がやってたやつです)にも出ていた記憶がありますが、ずーっとお侍さんの格好をした、研究者&マニアのような人という認知のされ方でしたが、ジャイアンツの桑田を復活されたということで、最近一般のメディアに取り上げられるようになってきました。
昨日、NHKの課外授業に出ていたのでちょっと観てみました。
本人が生で動くのを観るのは実ははじめてで、非常にわくわくしながら観てました。
少ない時間で甲野さんの思想や活動を語ることは非常に難しいことがよくわかる作りでした。

松聲館

先ず、明治の日本の教育で、欧米の列強の侵略を防ぐためには、彼らと遜色なく戦えなくてはならない。だから、欧米と戦う上で不利と思われることは廃止し、欧米に近づくべく国家や国民を作り替えよう。というのが政府の方針でした。
森鴎外は軍医総監として栄養面での西洋化を目指して軍の食事改善などを行ったようです。カレーライスが軍隊食としてポピュラーになったり、肉食の普及(肉じゃがなど)もこのころでしょう。
ちらりと映像がありましたが、身体の動きを改造するために導入されたのが、ラジオ体操をはじめとするもの。
江戸時代までは古式の軍事訓練を行った武士と、百姓というまるで違う身体感覚を持った日本人がいました。百姓(一部を除く)は武士の身体の動きができず、又白刃飛び交う中に突入するだけの精神的鍛錬も積んでいないという認識でした。
いわゆる腰を低く落として、がに股で、足をするように動かす百姓の身体感覚をいかに西洋化するのか?逆に言うと、西洋の機械的(スポーツ的)な身体感覚をいかに日本に普及するのか?
そこでラジオ体操(など)が強制され、腰を回転する動きや、ジャンプする動きなどを体に染み込ませていったのです。結果、日本古来の身体の動きは失われ、小柄な西洋人という中途半端な人種が生まれました。

甲野さんは、そのラジオ体操前の身体を探求し、自分で実践しているのです。

柔道や合気道にも残っている感覚です。
力ずくで物事を押し進めるのではなく、相手の力を利用して、局面を展開させるという例をいくつか披露していました。

実は建築でも似たような世界があります。
空間(space)と場(place)
人為的にぴしっと完成された空間と、自然環境など調和したり、人間の作為の希薄な場
僕たち日本人は、明治の和魂洋才では、テクノロジーは西洋列強を受け入れるが、ポリシーは日本古来の物を尊重するという姿勢でした。
しかし太平洋戦争で完敗して以降は、体も思想も全ての感覚をアメリカのものを最善として受け入れてきました。恐らくアメリカを無条件に受け入れた世界で唯一の国でしょう。

甲野さんは身体の脱西洋化を目指しています。
その活動は、これからの建築をつくってゆく上で非常に刺激的ですし、別の形で具体的な形を示してくれているのです。

しかしいつも刀差して着物着て歩いているみたいですから、偶然町で出会ってみたいです。
どう考えても危ない人に見えるだろうな。

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