INPLACE text

様々なジャンルのTEXTを順不同で掲載します。



  こちらに移転します
2004-11-30 (Tue)
長年あちこちに時々書き連ねてきましたが、ついにMoviletypeによるWeblog化します。
下記のサイトに統合しますので今後ともよろしくお願いします。
コメント等大歓迎です!

http://www.inplace.jp/cgi/blog/

  イランの震災
2003-12-30 (Tue)
イランの大地震は今回が初めてじゃない。
キアロスタミの「そして人生は続く」も大震災で被害を被った村を舞台としたように、地震が珍しい地域ではない。
しかし建材として手に入るモノは砂と石。地震には最悪の日干し煉瓦による組積造の建築となる。
13年前、シルクロード界隈に行ったとき、(バムには行ってないですが)大地と連続した土の建築によって都市が形成されている風景に大いに感動したものですが、それが今回のような地震で大きなダメージを負う原因となったのです。

古来、都市文化が発達すると、焼き物や瓦の窯業、金属、硝子等の産業が発達し、土の一部を大量の木材で溶融させる産業が発達することになります。結果、大量の木を燃やし豊かな田園地帯が砂漠になります。四大文明が発達したエジプト、イラク、パキスタン、中国黄河いづれも現在は砂漠です。
すると建材がなくなる。木材は、重量に対する強度が最も高い優秀な建材ですが、これが無くなると当然土を利用する。土は圧縮力には強いが引っ張り力には弱い。横や縦に揺れる地震には当然弱い。
国家全体に過剰な経済力が有れば、国外の建材を得ることも出来るでしょうが、それが可能な国は基本的には無いでしょう。
日本は、鉄文化を持つ種族が出雲に上陸し、その後大いに栄えましたが、中国山地が砂漠化することは無く、むしろ間伐することに手が回らなくて困っている状況です。
先進技術を持つ(比較的)技術レベルの高い民族の住む地域で、砂漠化するどころか樹木が密集して困っている地域はそれほどないと思います。それほど文明と砂漠化のプロブレムは深かったと思います。北方と南方の接点という日本の立地は我々が気づかないだけで大いに恩恵にあずかっていると思った方がいいと思います。

日本が地震国であることは言うまでもないことですが、それが(比較的)大いなる悲劇に遭わずに済んでいるのは砂漠化しないその気候風土のおかげと言えます。逆に言うと、今回のような悲劇は、人間の文明と気候の一般的な現象とも言えます。
例えば戦争で、兵員の1割が死んだというとそれは激戦と言えるレベルです。人口9万人で3万人死亡というのは、通常の戦闘ではあり得ないレベルです。
今回は建築がこの悲劇を引き起こしたと言えると思いますが、同時に文明が引き起こしたとも言えます。
できることなら寝袋を持って駆けつけたい気持ちもありますが、仕事もあり今回は無理です。

先述の「そして人生は続く」では、そんな悲惨な状況でもたくましく生きる姿が描かれていた記憶があります。実際イラン人は脳天気というか逆境でも驚くほどポジティブに物事を捉える気質があります。(今でも一番好きな国/民族がイランですね。アホさが自分と同レベルだから。)
今回も強い意志で乗り切ると思いますが、できるだけ手をさしのべることができればと思います。

取り急ぎ下記に関連のリンクを貼り付けておきます。
ちなみに、13年前のレートで、イランではガソリンは1リットル5円、ちゃんとしたディナーが100円でした。円高イラン・リアル安の現状では極めて募金は有効だと思います。ギャラを払う組織は、組織維持のために募金の過半が消えますから、僕はイラン大使館に募金しようと思います。

建築が人様の不幸を招くことがない社会を願ってます。
南海地震も近い日本も他人事じゃないです。

「イラン大使館義捐金募集」東京三菱銀行虎ノ門支店(普通)1647375 イラン・イスラム共和国大使館名義

NHK 救援・支援・ボランティア関連の動き http://www.nhk.or.jp/nhkvnet/spot/eq-iran/index.html
日本赤十字 イラン南東部地震救援金募集  http://www.jrc.or.jp/sanka/help/news/495.html
AMD 緊急救援速報 http://www.amda.or.jp/cgi-bin/users/browse.cgi?&check=1&mode=brs#1
国境無き医師団 http://www.japan.msf.org/index.php
ピースウインズジャパン http://www.peace-winds.org/jp/main/index.html


  The West Wing
2003-12-05 (Fri)
「ザ・ホワイトハウス」(NHK土曜日深夜)として一部で人気のあるアメリカのテレビドラマがあります。少しだけケネディに近い設定の民主党の架空大統領とその側近のお話です。
これにしっかりはまってしまっています。
キャストも吹き替えもいいし、ストーリーも設定もいい。
(バートレット大統領役の俳優をどこかでみたことがあると思ったら、、、地獄の黙示録のウィラード大尉でした。)
アメリカでは圧倒的な人気のようです。

子供の頃からはまったものといえば、、、
「黄金の日々」小4?
「ガンダム」小5〜高2
「アーサー・ランサムシリーズ」小5〜
「シャーロックホームズ」小5〜中3
「アガサクリスティの一連の作品」小6〜中3
・・・・

と書き連ねてみると、背景がしっかりつくり込まれているものに惹かれているようです。
物語や登場人物の魅力よりも、それをとりまく環境とか状況のリアリティのようなものに魅力を感じているようです。
それが建築の設計を仕事としている理由だと思っています。
建築は物語や登場人物をとりまく環境や状況となる重要な装置だと思います。
ただ建築をつくるのではなく、物語や登場人物をとりまきつつ目立たぬように全体のクオリティを上げる役割。
ホワイトハウスを観て、そんなあたりまえの環境の重要性をあらためて感じました。

http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Spotlight/6782/

  ブルーノ・タウトと桂離宮
2003-04-17 (Thu)
たまたま県立図書館に立ち寄った時、「桂離宮 ブルーノ・タウトは証言する」(宮元健次)が目に付いたので借りて読んでみた。
桂離宮は、僕が実は建築とじっくりとつきあうきっかけとなった大切な建築。
呉高専1年生の冬、友人と建築のクラブをつくり、先ず手始めにつくった模型が桂離宮だったのだ。
模型は思い出すと微笑ましくなるような出来だったが、悪戦苦闘しながらも、つくることで思いを深めてゆくことの面白さを体験できた16才の日々だった。

建築の世界では、桂離宮は他の古建築とは別格の聖なる建築である。特に俗の権化とされる日光東照宮と比較されるケースが多い。
その桂離宮神話の経緯を様々な資料から掘り起こしたのがこの本。

ソ連に傾倒しすぎたタウトは、アメリカに亡命を断られ、日本のモダニスト達の招きにより来日する。
その翌日に桂離宮に行き、大いなる感動をすることになる。
しかし、その後の日本の生活は失望が多く、最終的にはトルコに移り、そこで多くの建築を残し過労死する。

日本では、日本の伝統建築が、モダニズム以前よりモダニズムの特性を持つということを「大ブルーノ・タウト」がお墨付きを与えたとして現在にも伝わるが、それはある人(達)の作為的な行為であったという。

ユダヤ人と誤認され、ナチスから追われるという状況が、彼がミースやグロピウスのようなバウハウス建築家と勘違いされたことから、滑稽なドラマは始まる。(たまたまベルリンを出たのがアインシュタインと同じ日だったことが誤解の原因のようです。)
タウトはモダニズムではなく、表現派(村野籐吾のような)建築家であったのだ。
タウトを招聘した日本インターナショナル建築会は困惑し、かれが日本で建築をつくることを(事実上)妨害し、都合のいい発言だけをピックアップしてアナウンスすることとなった。
「すなわち、桂離宮への賛美は国粋主義と受け取られ、また宮廷文化への理解が天皇制への支持者として利用されたのである。」

つまり、戦後日本の建築カテゴリの二大リーダーを丹下健三(シンプル系)と村野籐吾(デコラティブ系)とすると、タウトは村野系カテゴリであったにもかかわらず、シンプル系と勘違いされて日本に招かれ、デコラティブ系であるとわかると発言や表現を制限され、あたかも国粋シンプル系に国際的なお墨付きを与える部分だけクローズアップされてきた。いやになったタウトはトルコへ渡り、アタチュルク大統領のもとで死ぬまで創作活動に励む生涯をおくったのである。

裏話的面白さはもちろんあったが、やはり政治と文化。ここに建築が占める大きな役割があったことも示している。当時、枢軸国といわれた日本、ドイツ、イタリア(別な形ではあるがソ連も)は、既存の帝国主義国家であるイギリスやフランス等の老いた体制に代わる政治体制をつくりつつあった。それは同時に新しい文化表現をも創出することでもあった。その文化の中心が実は建築であったのだ。
独自の表現手段を創出し、同時に国際的なお墨付きを獲得することが不可欠であった。武力と併せて文化/文明を非侵略地へ波及させるということは、スペイン/ポルトガル時代以来常套手段であった。
日本も戦後はいち早く役場と学校がアメリカ風チープなモダン建築となったことは記憶に新しいと思う。

つまり、桂離宮とブルーノ・タウトはそんな大建築時代の末期に新興大日本帝国の文化政策の波に大きく翻弄されたカップルだったわけだ。そしてタウトがトルコへ呼ばれる9日前、室戸台風によって桂離宮は創建以来最悪の損傷を受けるとういう悲劇の結末。(そして昭和の大修理時に作成された書物によって、我々が模型をつくることになったのだが、、、、)

モダニストだけでなく、表現派タウトが「泣きたくなるほど美しい」という桂離宮。
その美の奥深さが、この不思議なドラマを生む最大の背景となったことは言うまでもない。

  道具/建築
2003-03-04 (Tue)
人間がここ200万年たいした進化をすることもなく順調に発展してきたのは、人間の肉体ではなく道具(Tool)を進化させてきたからに他ならない。
何らかの苦難にぶちあたったとき、数千年も進化を待つほど悠長な性格ではない僕たちは、道具を発明することでさほど時間をかけることなくそれなりにクリアしてきた。
道具が必要となったのは、脳が容積の割に不安定であること、脳以外の機能が他の生命体よりも見劣りすることなどいろいろあるが、やはり生き物として不完全で奇妙であることが最大の理由だと思う。
永遠に求め続けるであろう自己を完成させる手段としての道具は、時としてマニアやオタク、フェティシズムなど過剰に暴走する感情を生むこともある。
(ここでいう道具は、都市や建築、車や鉛筆のようなハードだけでなく、音楽やダンス、言葉のようなソフト、そして制度やルールのようなシステムも含むものと考えている。)

道具が面白いのは、その進化は生命の進化のパターンと似通っているところ。
かなりおおざっぱにこれらの進化のステップをくくると、、、

固形物→移動→情報

単細胞生物→鞭毛による移動→脳(的なもの)による情報処理

最も高価な道具である兵器を例に取ると、、、
握り拳(arm)→矢/馬車(戦車)→誘導弾

人類最初の道具とも言える建築(住宅)は、「固形物」の象徴。
ある人にとっては、バイクや自動車、列車、飛行機、船など「移動」装置は、対人間以上に愛情を感じる対象である場合も多々あり。(何故か男性に多い)
かつて切手を集め、今、メールや携帯、BBSにはまっている人や、本、テレビが生活に必需である人も多いでしょう。(女性がやや多いと思います。)=「情報」

電車を待つ時間や、車の運転中に何故か電話をしたくなる人、普段あまり本は読まないのに電車で通勤中には集中して本が読める人、バイクや車などが好きな人が他の本は読まないのにそのジャンルの本だけは読むと言う人など以外と「移動」と「情報」のジャンルは近く、又発展的な関係であるとも言えるのではないかと思う。

そうした様々なジャンルの「道具」達の出発点であると言っても過言ではない「固形物」の王様=建築は、常に「移動」や「情報」へと進化した新しい種を意識せざるを得ない運命にある。
「移動」するようになれば別の名前を与えられ、「情報」だけで空間を成立させるには肉体がじゃまをする。
建築は、進化できない肉体のように、取りまく道具によって進化させるしかないのかもしれない。
しかし、それは新たな進化物を産みだすための母胎としての役割を積極的に意識する必要があることを意味していると思う。


  宮崎駿
2003-01-08 (Wed)
ここ数カ月、宮崎駿が関わったアニメーションを見る機会が多かった。
「太陽の王子ホルスの大冒険」、「アルプスの少女ハイジ」、「未来少年コナン」、「風の谷のナウシカ」、「もののけ姫」、「千と千尋の神隠し」
そこで気づいたことをいくつか。

宮崎駿が学習院出身で元共産党員であることは、よく知られていることである。
このプロフィールから来る特徴が作品の端々に見られて面白く感じた。
彼のパトロンとも言うべき徳間書店創立者徳間康快は、実は渡辺恒雄や氏家斉一郎と同じ読売新聞社で赤旗を振っていたこともまた不思議な因縁である。
徳間が宮崎や宮崎作品を愛したように、ナベツネは長嶋茂雄を愛している。

宮崎の初期の作品に共通していることとして、人工による社会と、自然礼賛的社会の対比がある。
そして、例外無く自然礼賛的少女が我々を豊穣な未来へと導いてくれる物語となっている。
少女を助ける少年(声優:小原乃梨子、松田洋次)と、やや悪役の女性(声優:吉田理保子など)が脇を支えている。

その設定も、ナウシカの漫画版の完結を機に大きく方向が変わってくる。
初期は、ハイジやコナンのような無垢な少年少女が行き詰まった社会を変える原動力として描かれている。
そこには、自然の生命力と、自然崇拝的社会への完全なる移行を訴えていたと言っていい。
しかし、「漫画版ナウシカ」の中盤以降に、自然界又は自然のシステムから生命そのものへと主題が移りその後半は大きく混迷を深めることになった。

自然界と人工の物質の優劣については容易に判断できたものが、自然の生命と人工の生命についてそこに生命としての違いは無いと言い切らざるを得なくなったとき、人工/自然の対比を越えたステージで物語をつくる必要性が出てきた。
「漫画版ナウシカ」では、当初は、人間に悪影響を及ぼす生命も人間と等価であると同時に、それは人間の幸福をも生み出しているという設定だった。しかし後半、生態系すべてを人間がつくっていると判明。もちろん人間そものもも。そしてその生命は未来に渡って生滅が予定されていた。
そこでは、人間によって生みだされた生命は、自然の生命と等しく尊く、それを操作すること、予定すること等の作為そのものを悪としてオチをつけている。

それ以後つくられた「もののけ」も、「千と千尋」も人間が自然界と激突する状況をまさに「業」として描き、両者の併存を模索する姿勢となっている。しかし、そこでは彼の主張も葛藤も見えてこない。オチのない豪華な映像美。
宮崎は、今後もアニメーションでは「漫画版ナウシカ」のあの生命の葛藤を描くことはないだろう。劇場アニメは娯楽であり、一大事業だからというだけではない気がする 。
「漫画版ナウシカ」の最後の場面で、生命の秘密を知ってしまったナウシカは、それを大衆に伝えることなく、「嘘の希望」を伝えることを選択する。
まさにそのような心理にあるのではないのか?

作品   都市/田園           少女、少年、女性
ハイジ  フランクフルト/アルムの山   ハイジ、ペーター(小原)、クララ(吉田)
コナン  インダストリア/ハイハーバー  ラナ、コナン(小原)、モンスリー(吉田)
ナウシカ トルメキア/風の谷       ナウシカ、アスベル(松田)、クシャナ
もののけ タタラ製鉄集団/シシ神の森   サン、アシタカ(松田)、エボシ御前(田中裕子)
千と千尋 現世/神の温泉宿        千尋、ハク、リン(夏木マリ)


  顔俳優と美しい風景とさだまさし
2002-09-12 (Thu)
先ずはこれを聴いてください。

残暑の中の紅白歌合戦という趣のあった「北の国から」
仕事が佳境でありながら、唐十郎だけ見るつもりが、気が付いたら鼻水出しながら泣いていました。

テレビというものと距離を置いてはや13年。
テレビというハード、そしてソフトが生活空間における影響がいかほどかを実感したくて始めたことでした。
20代の初め。バックパックを背負って帰ってきて、バックパック一つで生活したいと思って、新聞、電話、ガス、テレビの無い生活をしていました。

生活に必要なものを町から得るという旅の延長線上に日常の生活のテンションを置きたかったのです。

その後、家族が増え、日常がそれなりに充実してきても、テレビは手元に必要と感じなかった。
獲得した空間がぶっこわれるのが目に見えていたから。

その後、子供用に手に入れたMacにテレビチューナーが差さっていたので、去年の今日を境に時々見ることになった。

それであの「ホームドラマ」を観て、かつて家庭にテレビがあることの意義があったことを強く感じた。
映画館ではきっと全く違う意味を持ってしまうだろう。
家族が家庭の中で同じものを観ながら共有する感覚を持つこと。
これが実はすごく難しくなっているが、ギリギリ成立しているというところが逆に面白い。

80年代以降、物事は分散するベクトルに移行していたが、どうやら収束のベクトルも今後起こりうるという気もしました。

しかし、今後家庭、家族又は親密な小集団がなんらかの意識をシンクロさせるためのツールはテレビでは無い。
そして、「家族を大切にしろよ」ってテレビに説教されるのもこれが最後かもしれない。

それが「遺言」というサブタイトルの大きなメッセージだったのかも知れない。


  醒めたナショナリズムとベッカムさま
2002-06-25 (Tue)
世界の報道陣が日本におけるワールドカップを様々な切り口で報道している。
又、各国のサポーターのコメントを日本が報道しています。
基本的には日本の「客」がちょっと変わっているという報道が多い。
これまでの世界のサッカー愛好者と比べて、日本のサッカー愛好者が違うということらしい。
世界の一般的なサッカー愛好者の特徴を、日本に置き換えてみると、どうやら競艇/競輪愛好者と近いことが想像できる。
日本の場合、競艇/競輪愛好者はサッカー愛好者とはならないようだ。

ヨーロッパ、アメリカ等の社会構造において低クラスの人は、反体制的ナショナリストの比率が高い。フランス、オーストリアの例を引くまでもなく、景気が悪いと外国人排斥と叫ぶ政党が支持を集める。
日本の場合若干違う。韓国嫌いは若干傾向として見られるが、反体制かつ非ナショナリストであるように思う。
だから、日本サッカー愛好者は社会構造的怨念を秘めたナショナリストとなりえない不思議なサポーターということになるのだろう。
前回のフランス大会に行った日本人サポーターは試合後スタンドのゴミを拾ったとして、フランス人を驚かせていた。気が触れたのかという論調だったと思う。
つまり日本の微ナショナリストであるサッカー愛好者は、決して反体制でなく、非常に社会に従順で制限された馬鹿騒ぎの好きな人達である。
あれだけ心配されたフーリガンよりも、道頓堀で全裸になって逮捕された人のほうが多いことからもわかる。

あの意図的に国家対抗色を高め、大衆を興奮の坩堝に巻き込むワールドカップ・マフィアの戦略に全く乗らず、むしろ醒めた意識で限定的に興奮する日本人の根底には、ナショナリズムへの深い不信感を感じる。
その反動かどうか、マスコミとシンクロして個人崇拝をしたがる傾向にはうんざりするが。おばちゃんが「ベッカムさま」の追っかけをするって日本特有の現象だろうね。たぶんナショナリズムと最も遠い世界。

日本は不思議です。

  上海と安貞桓
2002-06-23 (Sun)
上海を「しゃんはい」と読むことができる。でも安貞桓を「あんじょんふぁん」と読めるようになったのはつい最近のことです。
中国で誕生した漢字は、東アジア共通の文字として現在まで使われていますが、問題は読みです。
中国は、国内に複数の方言(言語?)があるせいか、毛沢東が「まおつーとん」でなくても問題にはなりません。
でも韓国は金大中は「きむでじゅん」でないとクレームがつきそうです。
日本はどうでしょうか?
林健次郎は、中国では「りんちぇんつーろん」ですが、自分のことのような気がしません。韓国語ではどう読むのかしりません。「Kenjiro Hayashi」のほうがまだしっくりきます。
この違いがどこから来たのか気になっています。
文字優先か、読み優先か?

ヒントはオリジナルの文字を近年まで開発できなかった韓国と、オリジナルの文字が開発できず未だに漢字を崩すことしかできなかった日本の「ことば」に対する感覚のデリケートさによるのではないかと思っています。

神主が読むあの言葉は、「ことば」という神性によって宗教世界をつくろうという儀式に見えますし、仏教の経典なんか結局日本語訳することなく中国語を妙な発音で「ことば」にすることで仏教の世界をつくっています。
つまり言葉の意味ではなく、耳を流れるサウンドに価値を見いだすという発想です。
昔の日本では、本を読むときは音読をしていたそうです。
口で文字を音に変えて、耳で音を聞いて知覚するということ。文字は「ことば」紡ぐ楽譜でしかなかったということになります。
そう考えると、JPOPの意味の無い英語のフレーズも、何らかのイメージを発生させるための伝統的な手法と思えてくるから不思議です。

  有事法制-周辺事態法-日米安保条約-サンフランシスコ講和条約-日本国憲法-不平等条約-黒船襲来
2002-05-21 (Tue)
有事法制の審議が始まった。あちこちで法案については論じられているので細かいことは省くが、この法案そのものはとんちんかんでピントはずれのようです。
今のタイミングで法案が出せるのは、お蔵入りして久しいこの法案だけだったようです。

この時期にどうして?
今回最前線で推進してるのはもちろん防衛庁、及び族議員だが、その背後で強烈にプッシュしているのが実は外務省。影の外務大臣というべき福田官房長官がその牽引役になっています。
その前にアフガン出兵も、その前のPKOも全て外務省が猛烈に推進させました。
アメリカに要求されるままに様々な援助も行ってきました。

外務省の狙いは何か?
それは国連の常任理事国就任狙いのようです。
第二次大戦の戦勝国が独占する常任理事国になるべく長い間様々な工作をしてきました。
その仕上げの為の対米援助のように思います。
だから反対派の批判のツボも常任理事国入りの必要性の有無。及びそれに伴う対米追従外交のリスクを客観的に論じ合うべきだと思いますが、どうも目先の事ばかりのようで空回りしている印象が拭えません。

実は似たような選択をした時期がありました。
サンフランシスコ講和条約と日米安保条約です。
日米安保条約のほんとの意味は、米軍を日本に駐留させて日本を防衛させるかわりに、日本が軽武装で済むようにし、余力で経済回復を計るというものでした。
その戦略は結果的には、ほぼ正解だったと思います。しかし、当時の人達はその外交の目的のツボを議論することなく、単純に批判することに終始していたように思います。
実は米軍駐留を安易に認めすぎた為に、現在に至るまで歪な駐留の状況になっています。議論すべきは実はそのあたりだったと思います。

黒船襲来もそうです。日本の世論は外国と戦い鎖国を守るということでした。その急先鋒が長州でした。結果開国で正解でした。その際の安易に締結した不平等条約の改正のため、日本がイギリス流の侵略性の国への道を歩む道を選択する羽目になりました。

今回も実はかなり近いケースだと思います。冷戦終結後、アメリカは日本を守る意志はありません。日本のお家芸でもある対潜哨戒能力は米本土に届く核ミサイルを積んだソビエト原潜が日本海にいたから存在意義がありましたが、もはやまともに活動する能力もありません。

今議論が必要なのは、日本の軍備をどうするのか?
これまでのように日米共同歩調をとるのか?安保条約を解消して自衛隊だけで国を守るのか?それとも憲法どおりに自衛隊を解散するのか?

外務省が選択したのは、これまでどおり日米安保条約の継続のようです。するとアメリカの条件を呑まなくてはならない。
アメリカ特にWASPがメインの共和党はアメリカ孤立主義なので世界の安定の維持なんてどうでもいいと思っている。むしろ戦争があることで国防産業を活性化したいと思っている。
今後は、中小国の内戦、隣国との小競り合い、テロなど紛争処理のオペレーションに対応する必要がでてくる。基本的には国連を使いたいところだが、アフガンのようにアメリカの営利が関わるものは国連を入れたくない。その時に日本が手弁当で下請けをやってくれるとありがたいということになる。

このまま行くと、何でもかんでも紛争処理にかり出されて、そこの利権はアメリカに取られるという状況になる。ヤクザ(アメリカ)にぼったくられることが見え見え。
今熟慮が必要なのは、実は対米追従の条件の詰めで、その場面で反対派を上手に使うのが政府、外務省の腕の見せ所のはずなんだが、はるかそれ以前の状況です。


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